お上りさん

19日、日曜日は文字通りの雲一つ無い快晴、絶好の行楽日和だった。
組合のシニアの会の行事で、定番の東京観光に出かけた。


港区ではマラソン大会が開催中で交通規制中、東京タワーそばの降車場には、かなりの遠回りで行ったが、迂回路の狭い道を抜けるバスの運転手の見事なハンドルさばきには皆感嘆の声を上げる。


東京タワーは、60数年ぶり、小学校の遠足で行ったきりである。中は様変わりしていて、記憶が全く無い。


雲一つ無い都内が一望でき、富士山が綺麗だ。



お土産売り場は、タワーのミニチュアが並んでいるが、思い出すのは、母親が買ってきたお土産が東京タワーのミニチュア、当時のことでブリキ製だった。
てっぺんに絶縁された真ちゅうの数センチのアンテナがつき、数メーターのリード線が繋がれて、謳い文句が「5級スーパー(ラジオ)のアンテナとして使えます」という物だった。
10年ほど前1mほどの高さのLED電飾が付いた模型を診らしくもらったことがあるが、土産店にはもっと小さいものしかおいてなかった。
これは見事な品だが非売品。

記憶の中には風景が出てこない。

大勢人が見えるが、走り終えたマラソンランナーである。


カラー放送が始まる前のことで、NHK放送会館で見たカラーテレビのデモ放送の印象が強烈だった。


そして浅草寺、仲見世通りに今半で昼食、その後散策。もの凄い人混みで、おちおち歩いていられないほど。外国人も目立つが、七五三などの参拝以外の着物姿の若者が結構いたのは意外だった。

女将さんが配っているのは今や珍しくなったマッチの小箱。


      

折しも草履の寄進元、山形県村山市の郷土芸能が披露中だった。


そして柴又の帝釈天と寅さん記念館へ。
テレビの時代の物は全く無かったが、ジオラマや柴又駅の展示が懐かしい雰囲気を伝える。
人車鉄道が走っていたの見たのが、この日の一番の収穫だった。
そして同じ敷地内の山田洋二監督の記念館も面白かった。
ハナ肇の馬鹿シリーズのポスターや映写機、ナグラのレコーダーも懐かしい。

人車鉄道の車両。


デジタル移行前の時代、憧れのナグラ。


帰りの道中はお決まりのビンゴゲーム、ほぼ全員に景品が行き渡ったが、4リーチになるも、私とあと一人が外れだった。付いてないと言えば、財布が嵩張るので、お札を直にポケットに入れておいて、文字通り、観光地に「お金を落として」きた。それも一番大きいやつ。
さっさとお土産を買ってしまえば良かったが、後の祭り。


30人ほどのバスの旅だったが、集団行動が取れない人、旅ガイドの話を聞いていない人が結構いて、迷子や乗り遅れなどで無かったものの、これ以上の人数だと難しいな、と言うのが周囲の感想だった。
とは言うものの、皆楽しんでおり、有意義な旅だった。


じっくり見て回るには時間が足りない。一カ所一日潰すつもりで改めて出かけようかと思ったのであった。