何が何して・・・

年明けから気忙しくて、アレも、コレもと思っている内に、大寒を過ぎてしまった。
予想されたとおり、変種のコロナが蔓延、昨年から予定されていた組合設立50周年記念行事も、大分先に延期された。
どうなるかと思っていたジャズバンドのコンサートは実施が決まったので、思いがけず、参加出来ることになった。
そんな中、久しぶりに、郷土史家の塚原氏から「たまには顔が見たい」と、お呼びが掛かった。


お宅に伺う道中、快晴で雲一つ無い空に、富士山が綺麗に姿を見せていたが、高速道路からは写真が撮れない。



彼は、講演のさい、自分でパワーポイントを駆使して作った映像を使う。
私より一回り年上で、パソコンを駆使する様は、驚異的である。
近々予定している講演の資料が出来上がって、プロジェクターを使って試して居る内、不具合発生、
コレの対処のために助け船を出したのであった。
幸い、大事にならずに解決し、事なきを得て安心したところで、色々話が弾む。


昨年のアートミックスは、他会場を見て回る暇が無かった。鶴舞駅でのパフォーマンスの記録ビデオのDVDを頂いた。


次に、若かりし頃、ビクターからEP盤とカセットテープを出した私の小中学校の同級生の音源と、偶々見つかったその頃彼がカラオケで録音したテープが出てきて、何とかしてと言う。これを私が編集し、CDにしたものを、差し上げたのだが、その際、鶴舞おどりと鶴舞民謡のノイズ除去した音源もCDにし、お渡しした。その中に、内田小学校で運動会の時踊っていた「豊年音頭」も入れておいた。
この音源は、島倉千代子歌唱で、音源のSP盤がすり減って途絶えた後、小学校で復活した経緯をはなしていたところ、話は予想外の所へ飛んだ。


この曲を見つけたところが、御宿の月の沙漠記念館なのだが、何故ここで見つかったかというと、作曲が「佐々木すぐる」であり、月の沙漠の作曲者なのだ。作曲者つながりで、記念館でその音を掛けていたのであるが、なんと、塚原さんは記念館の経営者と親交があり、御宿に月の沙漠のラクダ像を建立した経緯をDVD化していたのであった。


作詞者の加藤正夫が病気療養中の御宿海岸で散策中に、オジさん何してるの?と声をかけたのが、未だ小さかったころの記念館の経営者だったのだ。遠回りして手にした音源だったが、塚原さんがここまでしていたとは驚くばかりである。このDVDも頂いてきた。


話が進む内、他人の著作物を勝手に引用し、調べもしないでありもしないことを書くのが居るのはけしからん、という話になった。それは彼が昨年著した本の中の清水次郎長についてであった。
コレは本人を見つけ出して抗議したと言うことだった。
話は違うが、昨年、グーグルの地図上で、内田小学校が廃校になってまもなく、開いてみると、そこが「内田陣屋跡」となっており、現地写真を載せて、解説してあるのを見つけた。
しかも、国土地理院の地図にそこが陣屋跡と書いてある写真まで載せて有るでは無いか。
私はすぐ抗議して訂正して貰った。現在は修正されている。
塚原さんはそれもご存じで、現地調査もせず、デタラメを書くのはけしからんと憤慨しておられた。


予想されることは、こうである。
陣屋があったところは元内田小学校、という情報だけで閉校した元内田小学校に特定したと思われる。
というのも、作年3月閉校した「元内田小学校」は、実は元内田中学校で、昭和40年に現「内田未来楽校」にあった内田小学校が移転したものなのである。しかもこの元内田中学校は、田畑だったところを学校建設のために、当時の村人が奉仕で造成した所なのである。
「国土地理院の地図」が平成に入ってからのものなので、この当時の事情を知らない人が、小学校のあったところという情報だけで特定したと思われる。


陣屋があったのが、内田未来楽校から、前の現郵便局を含む一帯が元の小学校(大正3年築)があった場所である。その証拠は、1726年(享保11年)描かれた内田郷の古地図に陣屋として描かれている。
我々は「伊丹陣屋」と呼んでいるが、当時の呼び方はどうだったかは調べる余地がある。



この古地図は、8畳敷きほども有り、現在千葉県文書館に寄贈され保管されている。
なを、「房総の陣屋」と言う陣屋研究会なる団体が著した書籍に「内田陣屋」として記載されているが、コレが何処を指しているかは未確認である。


他に「江子田」(えごだ)を、「江古田」(えこだ)と記した研究文書もあるが、バス停にそう言う表記があるので、惑わされていると思う。後者は「えごだ」と、濁って読まない。又地図表記にもない。
おそらくバス会社がバス停看板を注文する際、発注者が都内の「江古田」を知っており、無意識に間違って表記したものがそのまま現在まで引き継がれてきたものと思う。地元では周知の事実であり、訂正の抗議も無かったのであろう。


嘘も100回繰り返すと既成事実になるから、十分に注意が必要と確認したところで、再訪を約束して大量の資料がある書斎をあとにした。