天寿

導師のよく通る読経にのって木鉦の甲高い音が場内によく響く。
コロナ過の中、入場制限はあっても、多くない参列者と身内の参列によって執り行われた弔いは、
義理の叔母のものであった。


二番目の叔母の夫の妹で、92歳であった。
叔母夫妻は既に亡く、独身の彼女は施設に長く入っており、二人いる姪は、昨年来面会も出来ずにいた。生家は本人の意識のある内に、と数年前家終いをしている。


通夜の席は分からないが、告別式は本家から当主夫妻と、ご近所さん数名、それに私の兄弟4人、年齢から言えば仕方が無いが、さびしい限りである。私の兄弟が皆近くにいるのと、親戚づきあいの頻度が一番多かったと言うことで私も参列したのであった。


導師は本傳寺の住職で内田未来楽校の行事などでよく存じ上げている方である。
勿論叔母夫妻の時もお世話になっている。
いつもならお経は右から左へ抜けていくが、今日は心なしか体内によく入って浸みてきた。


家終いのとき、そばに住む友人から、「家に残っている物は処分するので要らないと言われた。おまえ親戚だから何か取りに来いよ」と言われ、普段の生活がそのまま残る家の中から、アルバムを持ち出していたのであった。


その時は、残していったのだからもう要らないと判断したのだろうと思っていたが、今日それを話すと、色々ものがありすぎて探して選別する時間が無かったからだという。
後日姪の所へ送ることになった。どうした物か迷っていたが、処分しなくて良かったと思う。



年齢もあるし、闘病後と言うこともあろう、彼女のお骨は、ずいぶん少なかった。


合掌。