御宿と「豊年音頭」

27日は定期診察日だった。
中旬に年一回の定期健康診断があったが、結果が出るのは一月後。
今日の診察で、血液検査の結果は出たので、健診結果を待つまでも無いが、
この一月、イヤこの夏も、様々なストレスと、食うのが楽しみな食欲とで、
酷い悪化も無いが、前進もほぼ無い。やや悪い方向に向かっている。
医師の診断は、
「極端な変化ではないので、こんなモノでしょう、今後も食事に気をつけて」。


ただ、コレステロール(LDL)の値が150をチョット越えたのだが、このために、
余り飲みたくない薬を倍にされてしまった。
目標は139なのだが、これの意味合いは余り無いことは既知の通り。
300越えの友人もいるが、ずっと健康で、通院している病院の医師も
「あなたはそう言う質(たち)だから」といって、現在何もしていないと言う。


食い意地の張っている私の場合は、どう食欲を抑えるか、が一番の悩みどころである。
ストレス食いも有るかも知れ無い。




閑話休題
使っていたSP盤が擦り切れて、新しく音源が入手出来なくなったため、途絶えていた
「豊年音頭」がひょんな事で見つかって、運動会で又踊るようになり、
内田小学校の閉校式典で、参加者みんなで踊った話は以前記事にした。


普通に「豊年音頭」で検索すると、沖縄民謡しか出てこない。
この時の音源が、唄は島倉千代子、中島孝で、綺麗な音で、島倉千代子全集に収録されている。
内田小学校で再開されたこの音源を、何処で手に入れたか、と言うと、
御宿の「月の沙漠記念館」で流れていたモノを偶々市原市内の学校教師が耳にし、コピーしたモノだという。


そもそも何故この音頭が学校の運動会で踊られるようになったかは、今となっては知る由も無い。
当時のSP盤の歌い手が、島倉千代子だったかどうかは記憶に無いが、同級生のビクター専属歌手、S君によると、これに間違いないという。彼女16歳の時の歌唱だという。
踊り始めたのも昭和30年頃からと言う。そうすると、年代も合うが、昭和20年代に、村の青年団が運動会で踊っている写真が残っている。(これが「豊年音頭」かどうかは不明)。


それはそれとして、何故御宿の「月の沙漠記念館」で流れていたのか?
「豊年音頭」の作曲者が「佐々木すぐる」だ、と言えば、
ピンとくる方は多くいらっしゃるのでは無いか。


そう、「佐々木すぐる」は「月の沙漠」の作曲者なのである。
かれは、童謡唱歌の他、全国各地の学校の校歌も沢山作っている。
茂原の五郷小学校の校歌も彼の作である。



豊年音頭



ちなみに「大阪音頭」も島倉千代子と中島孝のコンビである。